ウりゃ

ウりゃ

ベースインストラクター

ウりゃ

本名:しみずあきお(1970年7月7日生まれ)埼玉県出身
高校卒業と同時に箱バンで活動を始める。1991年渡米しバークリー入校。帰国後、数々のアーティストのレコーディングやツアー・サポートをこなし、97年「Art Bass Institute」を開講する。新進の指導に目を向け「バンドマンがバンドマンを教えるべき」をモットーに、現在も、年間200名以上のレッスン生に指導を行いながら、作編曲・プロデュース・レコーディングなど幅広く活動している。本名を超えた「ウりゃ」の愛称で親しまれている。

バンドマンがバンドマンを教えるのがイイ!音やリズムだけでなくセッションするメンバーのプレイを先回りして援護する。<br />そんな人間味のあるベーシストに熱き思いを訊ねた。

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以前、サラリーマンをされていたとお聞きしたのですが?

ウりゃ

本当ですよ(笑)隠す必要もないですし。高校卒業と同時に昼間は働きながら、夜と休日はベースを持って仕事をしていました。両親のことを考えると、就職するのが一番かなって思ったんです。でもあるとき父親から「どっちかに絞って精一杯やれ」って言われて、サラリーマンを辞め、ベース一本で行こうって決めました。それまで一度も文句の言わないオヤジの突然の発言で、目が覚めたというより、熱くなりましたね。今ならきっと涙を流して感謝しますよ。(笑)

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その後の音楽活動は?

ウりゃ

十四歳からベースを弾いていたんですが、ちゃんと学ぼうと考えて、英語も話せないのに、いきなりアメリカに行っちゃいました。父が貿易関係の仕事をしていて、小さい頃から漠然と「アメリカに行きたい!」って気持ちがあったんですよ。それと情報は沢山持っていたんでバークリーを選んだんです。でも本当に無謀だったと思います。ファースト・フード店で言葉が通じずに順番を飛ばされそうになった時に腹がくくれましたね。

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レッスンはいかがでしたか?

ウりゃ

厳しいというよりシビアでしたね。周りもそうでしたが、「上手くなりたければ努力しろ!」みたいなレッスンでしたから、取り残されないように必死でした。多分あの頃が今までで一番練習したと思います。でも、僕は確実に落ちこぼれでしたけどね(笑)

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帰国後は?

ウりゃ

無我夢中で仕事しましたよ。先輩や周りの方に恵まれていたので、ポップスから歌謡曲までいろいろなジャンルの制作をしました。箱バンもありイベントでの演奏も数多く。二十代前半は貪欲になんでもこなそうと挑戦してきました。お陰でいろんな音楽に触れる機会をいただきました。

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同時に指導も開始されたのですが?

ウりゃ

そのころ、若いプレーヤー達からボクが過去に悩んだり躓いたりしたような相談を聞く機会が増えて、最初は細々教えていたんですよ。それが、いつのまにか大きくなって。それでArt Bass Instituteを開いたんです。

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反響はどうでしたか?

ウりゃ

活字にできないくらい、すごく反響がありました。今でもブログやmixiなどでもメールが届いたり突然電話が鳴ったり。理論でも技術でもボクが答えられるものは、何でも応対しました。

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駆け込み寺みたいですね?

ウりゃ

解決策やヒントを提供するだけでしたが、彼らからも刺激されることが一杯あって貴重な経験をさせてもらうことも多いんです。特にバンドで生きている人にはバンドマンの意見って貴重なはずですから。

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環境が違いますが、音楽教室.jpでも同じことが起きそうですか?

ウりゃ

いろんな指導方法があるし、考え方も個々に違います。でも体験して初めて気がつくことも多いと思うんです。僕がアメリカで学んだ時と同じ感動を、提供できたら最高です。一度は正確な技法を覚えるべきだし、自分のプレイを客観的に見直すことも大事。プレイだけ上手になってもダメ。だから僕はいろんな話をしたいと考えてカリキュラムを練っています。時には一音も出さずに終わるとか・・楽しんで学んでもらいたい。そして確実にステップアップして欲しいと思います。

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